まずは「機会の均等化」と「選択肢の多様化」にご期待いただければ、と

アジャイルメディア・ネットワーク(AMN)のサービス開始発表から一週間が経ちました。この間、あるいはそれ以前の実験プロジェクトの段階から、さまざまなブロガーのみなさんに当社のことをお取り上げいただけたことについて、まずは御礼を申し上げたいと思います。本当に有り難うございました。

ただ、まだまだこちらの伝えかたが十分でないせいか、自分たちの真意とはいささか異なるニュアンスを帯びて情報が伝わっている部分もある・・・と、そんな印象を受けるエントリもいくつか見かけたので、今日から少しずつ、折りをみて、その「至らない部分」を補うような事柄をこのブログに記してみたいと思います。

まず、ちょっとだけ気になったのは、以下のような見出しが独り歩きしている部分が若干なくもないかな、という点。

ブロガーの支援か、ブログ格差社会の拡大か、ブログ広告代理店(Agile Media Network)登場の意味

FPNの常連寄稿者である山崎氏のこと、さすがにこうしたキャッチーな見出しを捻り出されるのもお手のものなのかもしれません(米国の状況なども交え、全体としてよくまとまった文章ですので、この見出しはeye-catchのための「意識して」つけたものと、余計にそう思えたりも)。「たしかに、AMNの事業がうまく軌道に乗れば、結果的に(たぶんいまよりも)多くの利益を得る書き手/作り手の方がでてくるだろうな」「そうなると、漫然とご自分の気分に任せてブログをつけられている方とは、やはり収入の点で差が広がってくるのかな」と、この考察を読んで改めて気づかされた次第です。

ついでに言えば、こうしたクリティカルな部分も含む見方が、当社の支援させていただくメディアの上で公開されるというのも、この世界の非常に面白いところだと私は感じます。が、そのことはひとまず脇に置くとして。

ただ–ここからが言いたいことですので、どうかご注意いただきたく–AMNは(ブロガーのみなさんから見て)つねに「オープン」です。いまもそうだし、この先もずっとそうであり続けるでしょう。遠い昔に読んだプリゴジンの名前を持ち出すまでもなく、常に新しいトレンドや勢力が現れ、次々と新たな構造が創り出されているネットは、まさに「散逸構造」もしくは「定常開放系」の典型といえるもの。そんな認識に立てば、系全体の構造に逆行するようなクローズドな環境をわざわざつくって、エントロピーの増大に拍車をかけるような選択肢を選んだりはしません(・・・これ以上続けると、地金が露わになりそうなので、難しい話はここで打ち止め)。
 
ブロガーのみなさんにとっては、少なくとも当初は、参加への敷居がいささか高めに設定されているように受け取られるかもしれません。が、それはこの新しいエコシステム(!)を構成する他のステークホルダーーつまり、広告主のみなさんと、そして何よりも各ブログを支持する読者のみなさんを考慮した場合になくてはならないものだと考えます。なぜなら、総体としてのAMNは(読者のみなさんにとっては)Google等の検索やYahoo!などのディレクトリとはまた違った情報摂取時の「フィルター」として機能することになると考えるからです。

「Web 2.0」を特徴づける要因のひとつが、いわゆる「不特定多数無限大」(by 梅田望夫氏)のネットユーザーの存在を前提にした、彼らの力を借りる(=いわゆる”Wisdom of crowd”か?)形のサービスだとしたら–YouTubeも、mixiも、ソーシャルブックマークも、ブログ全般もたいていはそうだと思う–、これからはそうした手軽にパブリッシュできるプラットフォームの普及の影響–つまり、結果として急激に増え続けている情報を、どう個々の人(たとえば、あなたや私)の口に合う形で提供できるようにするか、という点に改めて大きな注目が集まるようになると思います。

これは特に新しいことでなく、前のネットバブルの頃にはすでに「インフォミディアリー(infomediary)」(by John Hagel III)というコンセプトが示されていたし、さらにさかのぼれば80年代にAppleの「ナレッジ・ナビゲータ(Knowledge Navigator)」というのもありました。もっとも、それぞれが時期尚早で、あるいは単なる未来へのビジョンとして提示されただけで、実装されることはなかったけれども(付け加えると、「インフォミディアリー」のコンセプトとナレッジ・ナビゲータのビジョンとは、個々人のニーズや嗜好に合った=カスタマイズされた情報が手に入る/提供される、という類似点以外は、そうとう違う種類のものだろう)。

いずれにせよ、いまほど大勢の人が忙しく暮らす時代になってくると、こういう役目を果たすフィルターの選択肢がいくつもあっていいと思います。そうして、これまでは読者のみなさんにとって「接点」となるフィルターの仕組みや、あるいはパブリッシングのためのプラットフォームを開発/提供した主体者(企業)自体が、ユーザーや広告主といった他のステークホルダーに比べて、成功の果実の大半を独り占めして来た印象もあります(「Google社内で何百人もミリオネアが生まれた」とか、「 YouTubeでは受付嬢さえミリオネアになった」とかは聞くけれどが、たとえば「個人ブロガーがAdSenseで桁外れのミリオネアになった」という類の話は寡聞にしてまだ知りません)。が、その点では「書き手/作り手のみなさんにできるだけ多くの分配を」という主旨で考えたAMN(あるいは米のFMPなども含めて)の仕組みは、ステークホルダー間での「より公平な価値の分配」につながっていくようなモデルではないかと考えます。

話がだいぶ迷走してきたので、ここらで結論を。

ブログが多くの人にとって簡単に使い始められるパブリッシングツールである。そのことはあらためて言うまでもないでしょう。そうして、この情報発信者にこれまでになかった収入源をもたらそうとする(さらにいえば、その成否の程度によって社の命運が決まる)AMNは、まずは「Opportunity Equalizer(機会均等化の仕組み)」として機能することになるでしょう。これがぜひともお伝えしたい私自身の考えです。
 
たしかに、月5?10万あるいはそれ以上のページビューを集めるまでにブログを育てていくのはたいへんな作業でしょうが、ほかの世界に比べれば、自らの才能や努力がこれほど如実に結果に反映されるものも、とくにいまの時代には珍しいと思います。たとえば「官僚の世界で頭角を現すには、どこの高校(「大学」ではない)を何年に卒業したかが重要なポイントになっている」という話もここ数年よく見聞きしますし、政治家のようにいまや世襲がなかば「当たり前」に近いところもあります。それに比べ、ブログ界やネット全体にはそんな格差を生み出す「生来の条件」的な違いもほぼなく、またそうしたものが生れるほどの歴史もありません(みんなが「ヨーイ、ドン!」で駆け出したのがせいぜい12?13年前のことなので)。あるとすれば、「情報を見つけ出すのがうまい」「文章を書くのがうまい」「歌をうたうのがうまい」「絵を描くのがうまい」かどうか・・・といった、どちらかといえば個々人の生身にちかい部分の差が拡大されるのかもしれませんが。まして「どこかの組織に属す、またはその依頼を受ける」ことが自らの考えを発表できる前提、という時代はとうの昔に終わっているので。

そうしたことで、まずはご自分で書き始める–ほかの人にとって有用または面白いと思える話を意識して書き始める、というところから、私たちの「実験」への参加に至る道程を歩み始めていただければ嬉しいです。あるいは、より受動的な形ーたとえば、お気に入りのブログへの支持を表明するつもりでこれまで以上にアクセスしていただく、という形の参加でも非常に有り難く思います。もしお望みなら、そういうちょっとしたところから関われるのがこのAMNの実験ですので。

すでにかなりなスペース(とエネルギー)を費やしてしまっていることにいま気づきました。「選択肢の多様化」云々についてはまた別の機会に(あしからず)。

坂和敏